2011年07月26日

私の平和宣言

1945年、8月6日、広島では原子爆弾によリ、多くの人々が亡くなり、
ヒバクシャとして言葉では表せない苦しみを味わってきました。
それから66年、私たちは今度は福島の原発事故を迎えてしまいました。

二度も原爆の惨禍に見舞われたこの国で、なぜこんな事が起こってしまったのでしょう。
私たちは、今立ち止り、その原因を知り、自分のこととして見つめ直し、次の道を見つけなければなりません。

私たちは知らなければなりません。
今から50数年前、今、まさに私たちが立っているこの平和公園の中で、原子力の明るい未来を高らかに謳う博覧会が開かれたことを。
たとえそのキャンペーンに多くの人々が惑わされてしまったとしても、その間違いに気づくチャンスは何度も訪れていたことを。
スリーマイル、チェルノブイリ、東海村、、、。
心の奥に問いただせば、本当は気づいていた、しかし、目をそらしていた人も多いのではないでしょうか。

私たちは知らなければなりません。
核の被害は核爆弾によるものだけではないことを。
ウラン採鉱の現場、核の工場、核実験、核廃棄物、劣化ウラン弾、原発作業、そして原発事故。
「過ちは繰り返しませぬから」は虚しく、こんなに多くのヒバクシャを生み出してしまったことを。
私たちは死力を尽くしても、目に見えず、聞こえず、音もないこの敵に勝つことはできないのです。

今、私たちは目を見開き、決断しなければなりません。
亡くなっていった多くのヒバクシャに何を祈り、子どもたちや孫たちに何を残すべきなのかを。

私たちは今日、ここに宣言します。
軍事力であれ、平和利用であれ、すべての核を放棄します。
そして、核がなくても豊かな生活ができる社会を作り出すことを。

これは未来に託す希望ではありません。今を生きる私たちの義務です。

                                               sneshika
posted by no nukes at 00:46| 私の平和宣言